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家内のアドヴァイス

 

──いつも思いますが、王道を行く選曲ですね。

 

「はじめは、かなり超絶技巧の曲なども積極的に入れたりしていたのですが、やはりじっくりと素晴らしいピアニストと、ソナタを中心に音楽を作っていった方がいいのではないかと。例えば今までもイザイのバラードとか、パガニーニのネルコルピウ、ヴィエニアフスキーのファウストの主題によるヴァリエーションといったものを散りばめてはいましたが、基本は、10曲のベートーヴェンのソナタ、3曲のブラームスのソナタ、6曲のバッハの無伴奏ソナタとパルティータ、それにフランス音楽、今回もラヴェルを弾きますが、他にフランクとか、そういう意味で、大型の骨格のしっかりした選曲をし、アンコールで華やかなものを、と思っています。」

 

──ヴィルトゥオーゾ的なものを?

 

「そうですね。うちの家内の正美のアドヴァイスです。家内はピアニストで、学生時代、日本音コンで3位に入賞していまして、そのあと、東響はじめいろいろなオーケストラでソリストとして演奏していました。結婚して、最初の僕のリサイタルは、虎ノ門ホールだったんですが、ピアノは家内だったんです。お腹に三ヶ月の長男がいたんです(笑)。それで、とても評判はとてもよかったんです。芥川也寸志さんやいろいろな評論家からお言葉をいただいたのですが、いやー、德永君もいいけれど、奥さんの方がもっといいねぇ(笑)と。」

 

──徳永先生のような方でもアドヴァイスを受けられる?

 

「僕も自分では分かっているつもりで、演奏では、こういう演奏をしているはずだ、と思っていても、たまに家内が『ちょっと一言いってもいい?』と言ってくれることがあるんです。やはりなかなか的を射ているんですね。僕らは、ふだん教育者としても教えています。そうすると、相手の生徒の才能の100パーセントをどうやって引き出してあげたらいいか、ということで、ここをこう直せば、こう勉強すれば、ということで、努力の仕方を教えるわけです。

 

次のステップへ行くために、階段をどう登るのか、それにはこういう努力をしなさい……ま、人のことはよく分かるんです(笑)。で今度は自分の場合は、自分の経験してきたことを自分に教えるしかない。でも、自分ではちょっと気がつかないことってあるんですよ。だから、やっぱりいつまでもアドヴァイスしてくれる人がいた方が本当はいいですね。

 

人の言うことを全部聞くというのではなくて、一番信用しているうちの家内、それからあと信頼している数人の方々からアドヴァイスしていただけたら、それでもう有り難い。そういう気持ちを持っていないと、いけないかな、と思っています。」

 

客観的に自分の演奏を

 

──先生の音色に対するこだわりについてお話しいただけますでしょうか?

 

「やはり、僕の考え方では、音楽は音だと思う。音を紡いで、自分が今何を考えてどういうことを表現したいのか、すべて音で表わすわけですから。左手の技術というのは、ちょっと生意気な言い方をしますが、できて当たり前の世界なんですよ。ステージに登る、という意味では。ステージに登るために技術は訓練しますから。訓練して正しい場所に指を置く、これは訓練で反復練習、反復練習、面白くない反復練習。ところが、音っていうのは自分の心を表現するものです。心で感じたものを頭でデザインして、自分なりにフレーズをデザインして、それをどういう音を使って出すか。弦と弓との接点、ここが弦楽器は命だと思っています。ここで、自分が感じたものを音にして出す。

 

フレーズを見たときに、それは僕がいつも一番大事にしている部分ですが、ただ綺麗な音、というのではなくて、ここは自分はどのようなフレーズのイメージをして、どういうデザインをして、どういう気持ちを持って行って、気持ちが収まるか、その時に、じゃあ、その気持ちを表現するときにどういう音で……僕がいつも想像するのは、自分だったらどういう声で歌うだろうか、どういう種類の声で歌うだろうか、ということなんです。軽快なのか、暗いのか、甘いのか、声で歌うとそういうものが分かるので、いつも声のイメージをもっています。やっぱり音色は、大切です。そのフレーズを表現するのに、必要な音色というものを常に磨いておかないといけない。

 

一つのフレーズの中でも、最初の部分と自分の気持ちが一番高まったところと、自分の気持ちが収まったところ、というのは音色が変わりますから。そういうことも含めて、やっぱり音色は一番大事にしています。」

 

──ある意味、第三者的に、冷静にご自身の演奏を分析しながら演奏を?

 

「それはあります。昔は、本当に楽器と格闘しながら(笑)、弾いていた時代もありました。『どうだ、俺結構早く弾けるだろう!』みたいなね(笑)。

 

でも、ある時期から、やはりそれでは、人の心を音でつなげることはできないな、ということをだんだん考え始めました。こういう10年リサイタルのチャンスをいただいたりしたときに、今まででしたら、目の前のコンサートをきちっとやっていく、という意識でした。勿論日々工夫はしているんですが、こういう10年リサイタルですと、今勉強していることは、今回のためではなくて、来年再来年のことを見越しているものです。

この部分は、自分の中であまり満足できていないから、それをどういうふうに改善できるかな、ということで、今からいろいろと音のために準備しています。

 

僕の腕は自分にとって一番忠実な誠実な道具でなくてはいけないので、その誠実な道具をどうやって、よりヴァージョンアップをするか、という話ですよね。

 

そのことで、だんだん乗り越えていって、で気がついてみると、前よりは表現力が広がってくる。いつになっても一番大事にしているのが音です。

 

幸いなことに、宮崎の国際音楽祭も今度19年目で、ずっと最初6年間は、アイザック・スターンが軸で、途中から、ピンカス・ズッカーマンがなった。今もズッカーマンは、毎年いらっしゃいます。彼らは僕らでは想像が付かないような音がでるわけです。特にズッカーマン、いま現役の最高峰ですから。で、あの音はどうやったら出るのかな、と。彼の音楽は、あの音があってはじめて表現できる。ところが何が何だかよく分からない、全く参考にならない。あんまり凄くて(笑)。

 

でも、それを自分なりに一生懸命考えて、この階段を登ってだめ。あっちの階段を登ってはだめ、といろいろやって、少しずつ、少しずつ、十段くらい登ったところで、あ、少し見えてきたかな、ということはあるんですよね。

 

だから、そういう巨大な目標を諦めないで、少しでも、ああいう音はどうやったら出せるのかな、と日々工夫をする。その音が出ることによって、また音楽そのものも僕の中で変わってきますから。」

 

──徳永先生は基本的にはブリリアントな音色をお持ちですね。

 

「ああ、いいですね。今は意識しないでも、できるようになったかな。昔よりも今の方が、自分が本当に出したい音が出ている。ヴァイオリンの輝かしい音ではなくて、心の音がしっかり出ているか出ていないか、というのが、今の僕のこだわりです。」

 

リラックスは技術

 

──演奏家として、ある意味、冷めた目で、冷徹な目で、ご自身を分析されているのですね

 

「ちょっと話が長くなるかもしれないですが、僕はある時期、本当に演奏ができなくなって、16分音符が出てくると、本当にぐちゃぐちゃになってしまうことがあったんですよ。何でも無い音符なんですよ。家で千回弾いたら千回とも完璧に弾けるのが 、ステージに出たときに、よくゴルフで言う、イップス病みたいなものですよ。短いパットが入らなくなってしまう。

 

そんなようなことで困り果てて(オーケストラだと大丈夫なんですよ)、どうしようかな、と思ったときに、ちょっとスポーツの世界を覗いてみたんです。

 

簡単に言うと、一番大事なときに、自分の自己新が出る。一番大事なときに自分の一番最大の力が出る。これってどういうことなのかな、ということで、スポーツ医学ですよね。その辺の僕に必要な部分をちょっと勉強してみたんです。

 

そのときに分かったのは、緊張したときに人間の体がどうなるのか、ということ。緊張していることが分かるのは顔と背中です。ここに出る。どうしてそうなるのか、というところを自分で勉強して、技術として、技術的にリラックスさせる、技術的に自然体を作る。心臓がばくばく言って口から飛び出そうでも、自然体にする。故意に、無理矢理自然体にする。要するに筋肉のコントロールです。

 

で、それをやるのは楽器を持ったときだけではだめなんです。

ふだんの生活の中で、電車に乗っているときも心がける。美女と一緒にいると緊張するでしょ。緊張しても自然体にする。目上の方とか、いろんな方に会うと人間緊張します。そういうときも勉強。そしたらまぁ、少しずつですが、そういうことができるようになって、自分が集中していても、顔はリラックスしている。

 

そう言われてみれば、昔の巨匠、20世紀の巨匠達は、顔だけ見ていると、まるで本を読んでいるようです。ルービンシュタイン、顔だけアップすると、本を読んでいるかのような表情。リラックスしている。ハイフェッツ、何の顔の変化もない。気持ちは最高に盛り上がっていても、どこまで音楽が登って行ってしまうのだろう、という場合でもクールですよ。

 

どの演奏家を見てもそうなんです。巨匠は。

 

で、自分で“伝えようとしていない”んですよね。“感じられる”ように弾いているんです。人に伝えようとすると、どうしても無理がある。

 

一言で言うと、歌って伝えるのではなくて、語って伝える、ということです。歌いまくって、凄い顔になって、弾きまくって、さぁどうだ、じゃなくて、語りかける。僕は今そういうつもりでいます。」

 

──苦しそうな顔をするヴァイオリニストが多いですよね。

 

「そう。やっぱり、自分でそういう気持ちになっている、こんなに音楽の中に入り込んでいる、という顔をしている方はたくさんいます。でも、僕はそれをやると失敗するので、僕はやらないです。人それぞれですから、どちらが正しいとか正しくない、という話ではないです。

 

僕の場合はそうした方が、いいみたいです。」

 

──ある意味つらい部分ですね。

 

「そうですね。基本は体は全体運動。しゃがんでしまうくらい動いて弾くような方もいる。

 

笑い話で、NHKで、ある方のリサイタルを収録していた。昔のカメラはレンズが四つ付いているんだけど、全部手動でカメラを切り替える。そうやって撮影していると、ソリストが突然画面から消えた。どうしてかというと、ソリストは、反っくり返ったり、しゃがんだり動きが激しいものだから、カメラが間に合わないんです。それがいいか悪いかではなくて、僕はあんまり動きたくないんです。

 

やっぱり動くことで自分の体の筋肉の使い方にロスが生じる。筋肉を最低三つとか四つ使っています。激しい音楽を表現するには本当にかなりの筋肉を使わなくていけない。その時に、力の使い方として、上から加えるものではなくて、それを支える力を使う。そうすると動き回ると僕はできない。腕の重みを使う。重力を使う。あとはいかに支えるか、ですね。」

 

肩当てはしない

 

──ストイックな感じですね

 

「まぁ、あとは僕は肩当てをしないものですから。何でしないか、というのも、こだわりと言えばこだわりですが、音が違うんです。

 

裏板が開放されていると、弓を使った分以上の音がする。裏板が開放されていないと、使った弓の長さの分だけしか音がしない。だから、僕は肩当てがない方が表現しやすいんです。ところが、肩当てのできのいいものは、本当にぴったり填まって、楽器をもったまま100メートルくらい歩けますからね。

 

僕は、普通のハンカチを織って、衣装の下にしのばせます。これは汗の対策でもあるのですが。

 

肩当てをした場合、左手は圧倒的に有利です。全然違う。練習時間が一時間減る。ただ、肩当てなしで、できている間は無しで行きたい。昔僕らが憧れた人たちは一人も付けていなくて、素晴らしい技術で、それこそハイフェッツのような人がいた。二十世期の巨匠達はほとんど付けていない。ズッカーマンも付けていない。アイザック・スターンなんて、生徒が肩当てなど使用していると、バーンと叩きつけた。

 

日本では江藤俊哉先生が肩当てが嫌いでした。それで、生徒は全員外させられた。

 

これは本当かどうか分からないけれど、骨伝導が重要ということもあります。やっぱり骨に響くというのはいいことだと思う。

 

全く耳の不自由な方がヴァイオリン弾く、どうやって弾かせるのかな、と思いきや、骨の伝導で、自分の音程が分かるらしいです。どの音も。ですから、健常者も、骨伝導で聴く部分があって良いと思う。

 

必要としないと、そういう部分が磨かれないですが、本来はそういう部分は必要なのかな、と思いますけどね。」

 

──先生は、たくさんの生徒さんを。

 

「今、オーケストラのコンサートマスターも多いですしね。ソリストもこのところ、育っています。三浦文彰君や小林美樹ちゃんも。去年の日本音楽コンクールの1位の会田莉凡ちゃんも。なかなか優秀。

 

漆原朝子さんも僕の生徒でした。彼女も今藝大の准教授ですが、良い生徒をたくさんもっています。そういう子達が、学校間を超えて、レッスンに来るんです。同じ事を言っても、ちょっと言い方が違うとまた違った捉え方もできる。それから僕はすぐ弾いてあげる。百聞は一見にしかず。分かりやすいんです(笑)。」

 

徳永メソードの神髄

 

──徳永スクール・メソードが完成されそうですね。

 

「昔ね。そういう話があったんですけど、時間が無くて、時間が無くて、延び延びになって、遂にその話はなくなりました(笑)。

 

まぁでも、僕が良い生徒を育てることで、また次の世代にも伝わるし、しつこく言い続けることですよね。ただやっぱり技術的なことというのは、それほど難しくないというか。本来、技術というのは、どう使うか、の方がずっと難しいわけですよ。だからその辺を読む。作曲家のメッセージをどう受け取るか。それをどう自分の心の動きに置き換えるか。で、まずフレーズということを教えてあげるんです。みんなに聞く『君、フレーズって知ってる?』『先生、知ってますよ』『じゃあ、なんだい?』『えーっと……』ということになる。

 

フレーズというのは、君のお母さんが料理をして食べさせてくれたときに、皿に料理を載せる。これがフレーズ。要するに感情移入をする入れ物なんだよ。これが音一つではない。小さいお皿、小さいお皿、メインの皿、とか言ってね、説明する。男の子には、お茶碗、どんぶり、とか説明する。

 

それで譜面をそういう風に見なさいと。作曲する人がきちっとそういう土台の上に、基礎の上に書いてあるものを、演奏する人も同じ理解をして、演奏しなさい。そうすれば、モーツァルトを弾いたときも、それをきちっと理解して、自分がこういう風に弾きたいと思えば、あなたのモーツァルトになるんですよ。

 

だけどメッセージはきちっと受け取らないといけない。つまり様式ですね。それを受け取って、あなたのモーツァルトを作りなさい、ということをしつこく言うんですよ。だから、先生に、こう弾けとか、このフレーズはこう弾きなさい、じゃなくて、一つのお皿をお料理を持ったら、美味しそうに盛り立てる。で、お皿デザインしなさい。自分で。

 

一言で言うと、自主性が必要だ、ということです。それをきちっと理解していないと、音というのは生きてこない。自分で自主的にデザインしたフレーズをあってはじめてじゃあどういう音という段階になり、それは、こういうふうにしたい。じゃあ、この音が必要だな、と出てくるもの。」

 

──教わったまま弾く、というのではないわけですね。

 

「それをしていたら、なかなか伸びないです。やっぱり、自分はここをこういう風に表現したい、というものを持つことが一番大切。自主性ですよね。」

 

──言葉にすると、当たり前のようなことですが、それがなかなかできないということですね。

 

「今、僕が言ったことなんて、誰でも知っている言葉なんです。もの凄くシンプルなことなんです。シンプルなことが、ほとんど彼らが楽器を持って、弾き始めたとき、何にも無いんです。切り離されちゃっているから。そこは練習の仕方が違うよ、と。自分の声で表現するために、こういう練習が必要で、こういう心配り、目配り、気配りが入りますよ。とか三配りとか言って、いろいろ教えてあげるんです。そういうことを二年続けてしつこく言っていると、三年目くらいにずいぶん譜面が見えるようになってくる。四年目になるとね、エッ!あの子が? というくらい見違えるようになってしまって、首席で卒業する。

 

今言ったような話は基礎ですよね。その部分をいかに譜面を読むという意味でも、弾く方のことでも、きちっと、弦楽器というのは、どうやって音が出すものなのか、弦を振動させて心に響かせる。この基本を徹底してやるんです。」

 

──あなたのモーツァルトを作りなさい、と言われましたが、作曲家を表現するのと自分自身を表現するのは。

 

「両立するものだと思います。難しいですが、皆長く時間をかけて準備しますから。みんなできることだと思います。」

 

──演奏家の数ほど演奏がある。

 

「おっしゃる通り!」

 

──聴衆にメッセージを。

 

「僕は江口玲君の演奏を客席から何回も聴いているんです。素晴らしい。宮崎にもアン・アキコ・マイヤーズと一緒に来たり、いろいろ聴きましたが、いつか一緒にやりたい、と思っていました。音楽的にも凄く自然ですし、それこそ楽器と格闘しないしね。それで、彼はさっき言った三配りが完璧。ということは、一緒に演奏する相手としては、最高だと思うんですね。音は美しい、流暢。今度実は彼とは初めてなんです。だから楽しみ。僕が練習するときは、彼はここはこう弾くだろう、あそこはああ弾くだろう、ということを想像しながらやっています。自分の頭の中にあるんです。これは、是非皆様に楽しみにしていただきたい。

 

どういう音楽家と一緒に弾くか、ということで、ガラッと変わりますから。」

 

──ピアニストが毎回変わっていくのは意図的に?

 

「そうです。だから今は、シュニトケを野平君と一緒にとか、いろいろ考えていますが、十回めだけが分かっていないんです。」

 

──十回目のピアニストはサプライズ?

 

「ちょっと今考えているんです(笑)。」

 

 

 

 

取材:青木日出男

 

 

 

 

 

徳永二男の挑戦~10年間・10回リサイタルシリーズ

リサイタル直前インタヴュー

ヴァイオリン界の重鎮、徳永二男による10年間リサイタルシリーズ

 

【日時】 2013年10月25日(金)19:00開演

【会場】 紀尾井ホール

【共演】 江口 玲(ピアノ)

【曲目】 

ヘンデル:ヴァイオリン・ソナタ第4番 ニ長調 op.1-13, HWV371

ベートーヴェン:ヴァイオリン・ソナタ第2番 イ長調 op.12-2

J.S.バッハ:無伴奏ヴァイオリン パルティータ第2番 ニ短調 BWV 1004

ラヴェル:ヴァイオリン・ソナタ ト長調

ラヴェル:ツィガーヌ

【入場料】S席5,000 A席¥4,000

【お問合せ】AMATI 03-3560-3007

 http://amati-tokyo.com/performance/20111224.html



Tsugio TOKUNAGA,Vn

 

徳永二男は、ソロ、室内楽などの分野において、第一線で活躍するヴァイオリニスト。宮崎国際音楽祭音楽監督を務めるなど、人気、実力ともに日本を代表する演奏家である。近年は指揮活動にも取り組んでいる。

 

ヴァイオリニストの父茂および鷲見三郎氏に師事。桐朋学園にて、齋藤秀雄氏に師事。1966年、当時日本楽壇史上最年少のコンサートマスターとして東京交響楽団に入団。1968年、文化庁在外派遣研修生としてベルリンへ留学、ミシェル・シュヴァルベ氏に師事。1976年、NHK交響楽団のコンサートマスターに就任。その後首席第一コンサートマスターを経て、ソロ・コンサートマスターの重責を担い、長年NHK交響楽団の"顔"として抜群の知名度と人気を誇る。

 

NHK交響楽団在籍時代よりヨーロッパ、アメリカ各地から招かれ、リサイタル及び協奏曲のソリストとして活躍が目立った。とりわけ、ケルンでの現代音楽祭参加、ベルリンの日独センター柿落とし公演でのヴォルフガング・.サヴァリッシュ氏との室内楽コンサート、ニューヨークのカーネギーホールでの室内楽コンサートツアーはそれぞれ絶賛を博した。

 

1994年にNHK交響楽団を退団し、ソロ、室内楽に専念。1995年~2013年までJTアートホール室内楽シリーズの音楽監督を、1996年からは宮崎国際音楽祭の総合プロデューサーを経て2011年からは音楽監督を務めるなど、日本の室内楽の分野における中心的立場を確固たるものとしている。ほかに、鎌倉芸術館ゾリステンも主宰し、年に2回の定期公演も行naっている。

 

ソリストとしては、これまでモントリオール交響楽団やイギリス室内管弦楽団など、国内外の著名オーケストラからたびたび招かれている。

 

また、数多くのリサイタルを行ない、楽器の弾き比べなど、親しみやすいトークを交えた演奏会が、各方面から好評を博しているほか、さらに、2008年からは「徳永二男の挑戦」と題し、10年間毎年1回ずつのリサイタル・シリーズに取り組み、大きな話題となっている。

 

最近は、指揮活動もスタートさせており、すでに東京フィル、広島交響楽団、宮崎国際音楽祭祝祭管弦楽団を指揮して好評を博す。2011年からは、せたがやシンフォニエッタの指揮者にも就任。

 

CDは、ピアニスト・伊藤恵と共演したブラームスのヴァイオリン・ソナタのほか、音楽生活35年の集大成となるベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタ全曲集や、パガニーニのカプリースなどがフォンテックからリリースされている。

 

桐朋学園大学特任教授、洗足学園大学客員教授。

我が国ヴァイオリン界、音楽界の重鎮、徳永二男さんに、演奏論、教育論を語っていただいた。

「徳永二男の挑戦」10年間10回リサイタルシリーズの後半、第6回目が10月25日(金)19時、紀尾井ホールにて行なわれる。

 

ヘンデルのソナタの4番、ベートーヴェンの2番、バッハの無伴奏パルティータ2番、ラヴェルのソナタ ト長調、ツィガーヌと豪華版。
 

ピアノは、徳永さんが早く共演したいと切望されたピアニスト、江口玲さん。

(C)K.Miura

© 2014 by アッコルド出版

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