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音楽×私

9人のリレーコラム 〈10月9日〜〉

Q:自分を動物に例えると?

 

アッコルド読者の皆さん、こんにちは!
コラムも早いもので4回目です。
よくめげずに書けているな、と少し自分を褒めてやりたい時期に差し掛かりました(笑)。

 

前回は神奈川フィルの第1コンサートマスター就任にあたり、ご挨拶と抱負をコラムで書かせていただきました。


今回は、今現在の僕の活動について少しお話ししたいな、と思います。

 

ここ数ヶ月は主に、オーケストラのゲストコンマスの活動をさせていただいておりまして、言うならばコンマスとしての武者修行中なのです。

 

有難いことに、神奈川フィル就任が決まる前から、いくつかのオーケストラからゲストでお声をかけていただき、貴重な経験をさせていただいております。今回のコラムは、明日から初めてお世話になる、群響でのゲストコンマスに向かう新幹線で書いております。緊張している中書いています。 …  ^^;

 

さて、まず話は8月にさかのぼります。

 

8月は、神奈川フィルの他に読売日本交響楽団にお世話になりました。

 

この月は全てコンマスの隣、アシスタントコンマスでした。

これが、なかなか難しいのです。コンマスの判断に身を委ねつつ、出来るだけ気配りをしようと心がけていましたが、なかなか難しい。自分の立ち位置を探すので必死でした。うまくアジャスト出来たかな…?と不安ばかり残った夏になりました(夏風邪をこじらせていたのもありますが・笑)。

 

ですが、サイドで弾くイメージを膨らますことが出来て、貴重な経験を積ませていただき、やはり何事も回数を重ねて続けて行くことが大切だな、と痛感致しました。

 

 

続いて9月。初の東京フィルハーモニーにゲストコンマスでお招きいただき、音楽教室の演奏会で6公演弾かせていただきました。ほぼ同じプログラムで6公演連続して弾く機会はなかなかないので、毎回いろいろと実験しながら弾いてみました。

 

そしてやはり、サイドを連続して弾いた後のコンマスは新鮮なものでした。コンマスは、自分で弾きながら様々なことを判断し、それを実行する勇気がいりますね。サイドの時は、その勇気よりもコンマスに寄り添うイメージのほうが大切なのかな、と感じています。これも、まだ発展途中である、現段階での感覚と感想なので、どうぞ真に受けずに、へ~そういうものなのかぁ~、と聞き流してくださいねm(_ _)m

 

それに、やはりオケによってもタイミングや、弾いている感覚は全く異なります。ゲストでお世話になる間は、いろいろなパターンに柔軟に対応出来るよう、試行錯誤していこうと考えています。この経験が、いつか将来の自分のスタイルに繋がるものと信じています。

 

9月後半は再び読響でアシスタントコンマスでした。読響の皆さんには、僕が桐朋のソリストディプロマに在籍していた頃にエキストラでお世話になっていたので(かれこれ5、6年経ちますが)、団員の皆さんがとても温かく迎えてくださって、感謝でいっぱいです。

 

3公演で弾かせていただいたのですが、8月よりは手応え有り、というくらいでしたね。この時、やっとサイドの時にしっくり来る椅子の角度を発見しました。写真を載せますね。このくらいの角度だと弦楽器が全て見渡せて、弾いている感覚はコンマスと木管楽器に挟まれているような感じ。

 

僕はコンマスをするようになってから常々、木管楽器とのアンサンブルの重要性を痛感しています。木管楽器の息は弦楽器で言うところの弓です。このタイミングや音のスピードを合わすようなアンサンブルをしたいなと考えるようになりました。ですから、サイドの時も木管楽器を意識出来るくらいの位置で、基本的にはコンサートマスターに身を委ねるようなアンサンブルをしつつ、柔軟に対応出来るようにアンテナを張る。とまぁこんな事を考えて弾いて…etc 

 

そして、旅公演の終わりにはコンサートマスターの小森谷さんとゆっくり食事をしながら、ちょっとしたアドバイスをいただきました。細かい実践やメンタルにおけるアドバイスは僕の中だけに取っておきたいので、一言だけ書くならば「自分のオケに愛情を注ぐこと」ということでした。早速、今月末に神奈川フィルに戻ったら実践します!

 

さて、今回はこんなところにしておきます。初めに移動の新幹線の中で今回のコラムを書いていると書きましたが、結局書ききれずに日をまたぎ書いております。

 

そうです、群響の練習が終わったのです(笑)。初めての曲で、最初は気持ち的にもバタつきましたが、二度目は落ち着いて対応出来たかな、という手応えと、一発で決めたいなという欲求との狭間で揺れております。。

 

なかなかリアルタイムで赤裸々な告白です(笑)。まあ、そういうコラムだし良いかなと思い書いておりますので。練習を終え戻ったホテルでコラムの続きを書いています。テレビでカウントダウンTVが流れています。ポルノグラフィティのアゲハ蝶、2001年なんだ。らいおんハートとか懐かしい、中学の頃だ。楽しかったなぁ。


話がそれましたm(_ _)m

 

… 明日本番です。そして、それが終わると小さな室内楽の本番を挟み、いよいよウェールズ弦楽四重奏団の紀尾井ホール公演です。ノンストップです!

ではまた次回まで。

 

 

 



Q:自分を動物に例えると?
        
A:…難しいですね(笑)。動物というか、身体の大きな赤ちゃん?でしょうか。寂しがり屋なので(ーー;)

﨑 谷 直 人

Naoto Sakiya(Violin)

新 倉 瞳

Hitomi Niikura(Cello)

みなさんこんにちは!

 

枯葉のバレリーナが踊り出したバーゼルですが、日本では金木犀が香る頃でしょうか。

 

先日、チューリッヒオペラにご招待頂き、Belliniの 'La Straniera' (異国女)を鑑賞させていただきました。

 

67歳の歌姫Edita Gruberova(エディタ・グルベローヴァ)さん、引退前のツアー。グルベローヴァさんの歌を聴くのは初めてでしたが、その全く衰えぬ歌声に心動かされました。 

 

まだまだ声量もあれば、テクニックも健在。でも彼女のppがとんでもなく美しくて……。オペラを聴いていて、こんなに楽しかったことも、感動したことも初めてで、約3時間の演目でしたが飽きることは一瞬もなく、あっという間に終わってしまいました。

 

……私はあと数年後も数十年後も、あんなにすごい「Diva」にはなれないけれど、舞台の上で、音楽で、つぶやくように人生語れる女性になりたいと強く思いました。

 

舞台裏では、転んだり、泣いたり、あいかわらずどたばたしていても、舞台の上では気高く、美しくありたい。

 

実は、昨夜のオペラ鑑賞後、帰路に着く際に金木犀の香りが横切りました。

 

スイスにも金木犀があるんだ!

 

オペラに感動して興奮していた私ですが、高校生、大学生時代に桐朋学園の門の近くで金木犀の香りに、心の奥をぎゅっと掴まれていたことをふと想い出しました。

 

あの頃、ただただがむしゃらに毎日必死だった。小さなことで傷ついていた。 いまはもう年齢も年齢で、だいぶ余裕が出来たし(笑)、ゆっくりだけれど少しずつ夢が叶ってきて……

 

でも、この手で「掴んでいる」という実感が、やっと湧いてきたところです。

 

67歳までにはまだ時間がある。わたしのスピードでゆっくり積み重ねていこう。

 

改めてそう感じた、大切な一夜でした。

 

 

 

Q:自分を動物に例えると?
        
A:自分を動物に例えると…ナマケモノ。出来ることなら誰にも干渉されず一日じっと木にぶらさがっていたい。。つくづく、twitterやFacebookで人の近況を把握することが苦手だと感じる今日この頃です(笑)。

めかる

Mekaru(Violin)

「愛猫」

 

私は、ネコと暮らしています。
名前は「ぶぶ」です。


種類が、ブリティッシュショートヘアー。
色が、ブルー。
なので、最初の文字をとって「ぶぶ」にしました。

 

いろいろ、名前の候補はありました。
「ジョイ」とか、「ぐー」とか。
試しにいろいろ呼んで、そのなかでも反応したのが「ぶぶ」でした。


ぶぶさんは、もうすぐ3歳になる男の子です。


触られるのが嫌いですが、「人」は好きです。でも、信用はしていない。
そして、自分のペースを大事にします。


でも、出かけるときには見送ってくれて、帰ってきたら出迎えてくれる、

紳士な性格です。

 

ここ数年は、いろいろと経験させてもらうことが多く、私にとって大変勉強になる年が続いていますが、ぶぶさんには本当に助けられています。

 

ぶぶさんは、特になにもしませんが、ある一定の距離を置いて見守ってくれています。・・・と私は思っています(笑)。

 

音楽も大好きで、私がヴァイオリンの練習していると、いつも寝ているクローゼットの中や、ベットの下からから出てきて、ソファーで優雅に聴いています。

 

CDはカントリーが好きなようです。

 

ヴァイオリンを弾いてる時も思うのですが、低い柔らかい音が好きみたいです。


私も低い音や、ジェームス・テイラーなどの音楽が大好きなので、ぶぶさんと好みが同じ。気が合います。

 

チェロのお友達のネコは、練習していると、座っている椅子の背もたれとの間に入ってきて聴いてる、っていうお話を訊きました。
あるいは、わざと足下にやってきて、そんなことより遊べと催促してくるネコちゃんもいるようです(笑)。

 

私はいつも、自宅でごはんを食べるとき、
自分のごはんを用意してから、ぶぶさんにも餌をやり、一緒に食べるようにしています。
その際、私が食べ始めるまで待っててくれて、私が食べると、ぶぶさんも食べだします。


とても仲の良い私たちですが、この間、寝ている時、突然に噛まれました(笑)。

 

理由は分かっています。

 

3日間ほど仕事が夜遅くまで続き、ぶぶさんと目を合わせて遊べていないからです。

ぶぶさんごめんなさい。
明日はおやすみなので、1日遊びましょう!

 

そんなこんなで、もう10月ですね。
27日には、沖縄でワンマンライブ、
そして31日には、吉祥寺でツーマンライブがあります!

 

10月31日(木)ハロウィーン
@吉祥寺マンダラ2
乙三×めかる
2マンライブ!!!!

ぜひ遊びにきてください!☆

http://ameblo.jp/asanomekaru/

 

 

 

 

Q:自分を動物に例えると?
        
A:よく、「意外と真面目だね」と言われるので、犬ですかね(笑)。
でもなりたいのは、自由気侭なネコです。ぶぶさんに憧れています!

原 田 真 帆

Maho Harada(Violin)

ずいぶん秋らしくなった。朝晩は冷えるので、夏服は寒くなってきた。なにより、季節が変わると新しい服がほしくなる。チェック柄や濃い色合いのものについつい興味をそそられる。

 

はやりすたり

 

藝大生はわりと、トレンドに流されずにそれぞれ好きな格好をしている。特に美校(美術学部を美校、音楽学部を音校と呼ぶのは藝大の前身、東京美術学校・東京音楽学校の名残りらしい)にはファッションそのものがアートのような人も多いが、音校の人はそこまで奇抜でないにしても、流行にとらわれないおしゃれをしていて、世の中の大学生に比べてその点すごく自由だ。はやりの服が悪いとは言わない、かわいいけれども、みんながみんなが似通った服を着る必要はまったくないと思う。でも大学生は周りの目が気になるお年頃、もしかするとわたしたちの世代は特にその傾向が強いかもしれないが、流行のものをまとってなければいけないような風潮がある気がする。たまに昔の同級生に会って話すと、ファッションへの認識がずれていることがあり、しみじみ考える。

 

なんて、えらそうなことを言って、毎日完璧なコーディネートをしているかと言われると自信はない。決まった、と思える日があれば、今日は無難な路線に逃げたな、という日、これはチョイスを間違えたと思う日もある。大学も2年目になりずいぶん慣れたが、入学したての頃は制服がないことを嘆いたものだった。朝に服を選ぶ習慣がないから、毎朝家を出る時間が押しに押して、大騒ぎだった。なんせ私服のアイデアがまったく浮かばず、今だから告白するが、始めの数か月はほぼいつも母の知恵に頼っていた。

 

学校帰りに電車を待ちながら本屋でファッション雑誌を見た。コーディネートの参考になる雑誌はないだろうかといろいろ手に取ったが、どれも似たようなものばかりでそのうち飽き飽きした。個性を感じられなかった。なんてつまらないんだろう。しかもはやりのものはどれも自分で着たいとは思えなかった。どんなにかわいいなと思っても、その気持ちを持てるのは誰かが着ているのを見るところまで。やがて雑誌は星占いのページしか見なくなった。

 

流行と自由

 

何でも、その時代にあったスタイルがあるし、それに合わせて生きるのもまた、今を生きるものとしての使命だ。とはいえ、それは個性を持たないこととイコールではないはずだ。流行は、自分の主体性を持った上で取り入れた時に初めて活かせるのではないだろうか。わたしはもともと、人と被りたくない、人が持っていないものを持ちたいという性格だから、こんなことを思うのかもしれないけれど、そんな自分だから、好きな服を好きなように着ていられる環境にいられる幸せを思う。

 

いや、自由に暮らせているのはファッションだけの話ではない。音楽だってそう。もちろん基礎は押さえていなければいけないが、弾きたいように弾かせてもらえる、のびのび育ててくださる先生方に出会えたことに感謝している。というより、すべてにおいてオリジナリティを貫きまくるわたしを、受け入れてくださる方々がいるおかげで、こうも自由に生きている。やりたいことがたくさんあるということは、悪く言えばそれだけまわりの人を振り回すということだ。その分生産した何かを社会に還元する義務があると思う。と言うとと堅くなるけれど、わたしが普段思っているのは、何かを生み出して、それによって笑顔を増やしたい、という、ただそれだけのことだ。

 

ところで、はやりの服が嫌いというわけではない。むしろ、この秋トレンドになっているきれいめクロップドパンツなんてツボである。待ってました、とばかりに早速手に入れた。よくありそうなグレーのチェック柄ではあるが、ラインの色がすこし珍しいものがとても気に入って買った。

 

職業柄

 

ヴァイオリン弾きならではの服の制約もある。特にトップスは選ぶ。例えば襟元の装飾。どんなにかわいいなと思ったところで、デコルテから左肩にかけての範囲でビーズなどついていた日には購入を断念する。ポンチョやドルマンスリーブは腕の可動範囲が減るので難しいし、肩回りには余裕がほしい。冬物で、首元があまりに分厚い素材だと弾きづらい。わたしは襟があるものの方が素肌に楽器が当たらないので好きだけれど、人によっては首の回りが空いていたほうが楽器が滑らなくていいと言う。オケや室内楽など座って弾くことがある日に、あまり短いスカートは禁物だし、試演会用の少し改まった服も持っていたいし…… そうなると何が便利って、オーソドックスな膝丈Aラインのシンプルなワンピースだ。実にコンサバティブである。そんなわけで結局弦楽器の学生は流行と逆を行く、シンプルで清楚な格好が多くなる。昔ながらの「ヴァイオリンを弾くお嬢さん」らしい格好が絶滅しないのはそういった理由がある。わたし自身はパンツスタイルが好きなので、スカートを履く日の方が珍しいのだけれど。

 

わたしは小さい頃なで肩だった。当時バレエを習っていたが、下手で下手でしばしば怒られていた。しかし先生は、あなたは首から肩にかけてのラインがバレエに大変適しているのだから、頼むから姿勢を良くしてちょうだいと言って、体型はいつもほめてくれた。5年半続けたものの、自分で踊ることがさして好きでなかったせいで向上心もあまり無かったのか、よっぽど才能が無かったのか下手なままやめた。今となってはあの頃学んだことが西洋音楽の理解にすごく役に立つ瞬間があって、習っていてよかったな、としみじみ思い、通わせてくれた両親に感謝している。でも残念ながらやっぱりやっていた時は好きじゃないと思っている期間の方が長かった。

 

母はわたしのバレエになっていない動きにいつも嘆いたが、今思うと、先生や母に何を言われてもわたしにはいまいち真剣味が無かった気がする。本業じゃないし、と思っていたからかもしれない。なんだかんだ言って母にも当然そういう考えはあって、あなたのなで肩はバレエには良くてもヴァイオリンには向いていないわよねぇ、と少し残念そうに言うのだった。何かで整形外科にかかったついでに、先生に、この子は将来もなで肩のままでしょうか、なんて質問したことすらある。

 

ところが中学生の頃、服を買いに行ってふと気がついた。ブラウス試着をしたら、自分に思いの外肩幅があって、良いと思ったサイズが着られない。このサイズきつい、どこがきつい? …肩。肩だって? あれれれれ。それまでちっとも気づかなかった。いつ急成長したというのだ。小学校を卒業する段階で165cm近くまで育っていたわたしに、ここでこんな成長期が待っていようとは誰も予想せなんだ。

 

以来服は肩幅で諦めることがままある。かわいいブラウスやワンピースに限って、9号やMサイズしかなかったりして、その度しょんぼりする。服屋さんの偉い方々、もしこれを読んでいたら、もう少しマイノリティ向けサイズの生産数を増やしてくださると泣いて喜びます。…音楽のコラムに書くことでは無かった。

 

おしゃれな音楽家

 

おしゃれをするというのはひとつのたしなみであると思うし、感性が磨かれるので、音楽だけやっていればいい、というのではなく、あの人上手ね、しかもいつもおしゃれで素敵ね、と言われるようになれれば理想的だ。どちらも、なかなか道のりは長いかしら…。

 

先日服を見ていたら、母が、これかわいくない?とトップスを選んできた。ヴァイオリンケースを背負いづらいかも、と率直な感想を述べたら、母は「そっかぁ、あなたたちはヴァイオリンを背負って生きているんだもんね」と言って、大変だね、とつぶやきながらその服を戻しに行った。わたしは買うか悩んでいる服を手に持ったまま、しばらくぼんやりと母の言葉を反芻していた。

 

 

 

 

Q:自分を動物に例えると?
        
A:わたしの「うさギ」くん。よく、はらだに似ているって言われるのですがどうでしょう……
 自分ではよくわかりません。でも、似ていると言われるのはまんざらでもないです。

大 宮 理 人

Yoshito Ohmiya(Cello)

皆様こんにちは。大宮理人です!

 

趣味は人それぞれですが、僕は玩具が大好きです。ということで、今回の私事は最近の趣味についてです。

 

玩具が好きといいましたが、ほんとに大好きなんです。


育った環境が男4人兄弟だったということもあって、ロボットや仮面ライダーが大好きな子供だったのですが、今でもその熱は冷めることはなく、むしろどんどん熱くなっています。

 

以前も書きましたが、子供の頃の夢は玩具・ゲーム屋さんの店長になることでした。理由は新しい玩具等を仕入れの時点で真っ先に手に入れられるから!(笑)。今ではもう、その夢は諦めましたが、24歳を目前に控えた今でも暇を見つけては、同じリレーメンバーの小林君と、ちょくちょく秋葉原の街に出向きます。そして、仮面ライダーやガンダム等のフィギュア・プラモデルを見て「ほすぃー!!!(((o(*゚▽゚*)o)))」と子供のようにはしゃいでいます。

 

いや、何が格好良いってお店にある本格的なショーケースの中にディスプレイされている作品たちは、どれも劇中さながらの迫力・躍動感に溢れていて、今にもこの小さいヒーローたちが飛び出てくるのでは!!と思ってしまうのです。

 

そう、まだ僕には子供心がたくさん残ってるんです(笑)。

 

しかし、いざ買ってみるとこりゃ大変。


いろいろなアクションポーズをとるために、実際の人間のように関節が動くのですが、自由度が高いがために自分の思うカッコイイ!と思えるポーズを作るのはタイヘンナノデス。

自分の脳内で再現された【武器を構えた決めポーズ】【必殺技がキマる瞬間】を再現しようとするとこれがなかなか・・・


1mmずらすだけで格好よかったり、ダサくなってしまったり。フィギュアやプラモデル自体も出来るだけ劇中の姿を 再現するものだから、重量のバランスがおかしかったり(スタンド付ければなんとかなりますけれど)、飾る角度でも見栄えが全然違ったりと、こだわり抜いたらキリがありません。


手取り足取り、ぐねぐねしてみてもいつの間にか諦めてギャグポーズに走ってしまうのです。

 

そんなこんなで最近の趣味は玩具集めなのですが、やはり自分の好きなキャラクターやロボットが部屋にいると、なんだかやる気が出てくるんですよね(´ω`)。。。(オタクですね)。

 

実はこの趣味、やる気が出る以外にも効果があるのです。


やはり飾るときに劇中のシーンをイメージして飾るのですが、そのポーズを見ているとやはり脳内にそのシーンのBGMや、キャラクターの感情、ドラマが脳内に再現されるのです。

 

クラシックやポップス、どんな曲であっても練習をする上で自分なりのイメージを持つことが大切だと思うのですが、僕の場合ヒーロー物が好きなこともあって、チェロ・クァルテットの合わせの時や本当に仲のいい人達と曲作りをしている最中、イメージに煮詰まった時にはよくやってしまいます(笑)。

 

伝わっているかは定かではありませんが「ここはさ、〇〇の恋人が亡くなってしまって、嘆き悲しんでる、シーンなんだよ、、、で、その次の優しくなるところは、絶望してるところに亡くなった恋人の声が聞こえてきて救われる感じ!」とか「ここの転調さ、もっとイメージ変えない? こう、〇〇も変身すると能力ガラッと変わるやん? そういう感じ」等々、、、そんなんで曲作ってるのか!とか言われてしまいそうですが、これが伝わる相手だとバチッと音楽がまとまったりしてしまうのです。

 

しかし忙しくなってくると飾られているロボットの奥には、作っていないプラモデル達もちらほら・・・


買いたい欲と、作る時間とがなくて、積み重なっていく箱達への罪悪感に挟まれてます。

 

趣味について書いていたら長くなってしまいましたね。本当は僕もペットネタで、実家のワンコについて書こうと思ったのですが、それはまた次回ということで。

 

 

 


Q:自分を動物に例えると?
        
A:レッサーパンダ。面白い動画があって、そっくりとのこと(笑)。

  Twitter 6秒で笑える動画より 
vine.co/v/hh56ZXazbdv

 

荒 井 桃 子

Momoko Arai(Violin)

こんにちは。

 

すっかり秋らしい陽気になりましたね。

体温調節の苦手な私は朝との夜の気温差になかなかついていけませんが、

先日帰宅途中に秋風と共に匂ってきたきたキンモクセイに心がすっと洗われ、癒されました。風を感じる気持ちのよい季節ですね。

 

今回は「演奏する環境について」書いてみたいと思います。

 

演奏する場所はたくさんあります。

コンサートホール(大・小)、ライヴハウス、カフェ、ストリート等々。(ストリート経験はないですが。)

アーティストさんのサポートをする時はアリーナやドーム規模で演奏することも。

 

前回のコラムには完全な生音とマイクの音、どちらにも良さもあり表現する幅も違ってくるということを書きました。楽器本来の生音の素晴しさを伝えられてこそ、良いプレイヤーだということも。

それ以前に、演奏する場所の音響問題も実はあるのです。

「この楽器には不向きな会場だ」とか、「音が飛ばない、響かない」だとか。

学生時代はそんなこと言ってたな、と今では思います。

でも卒業して間もない頃、とてつもなく弾き辛い会場で演奏する機会がありました。リハーサルの時から「どうしよう・・・これでお客様が入ったら更に音も吸ってしまうし。どうしよう・・・」と、不安ばかり。

でも「自分の演奏を初めて聴く方もいる。いつでもどこでも、荒井桃子の演奏を届けなくてはいけないんだ!」と楽屋で思ったことが、とても鮮明に記憶に残っています。その演奏会から応援して下さり、今もファンでいてくださっている方もいます。

その体験から学べたことは大きく、今に活きている。

学生からプロとしての意識に変わった瞬間だったのかもしれません。

プロという言葉は少しニュアンスが違う気もしますが、職業=ヴァイオリン奏者という意味です。その日からステージに立つ際の意識は確実に変わりました。

 

その後も楽屋のない会場、突然の機材トラブル・・・etc 様々な過酷な環境も経験してきましたが、"ピンチをチャンスに" じゃないですが、通じるところはたくさんあると思う(笑)。

 

でもきっと、どんな環境でも対応して弾けたほうが音楽の幅も広がるし何より楽しいはず! 

そんなことを目指す私にとって、練習と同様の訓練でもあるのかもしれません。

 

 

 

 

Q:自分を動物に例えると?

        

A:何でしょう(笑)。今までで1番難しい質問・・・。

小鹿に似てる・・と、たまに言われますがそれは外見的なことなので・・・。 

“寂しがりやの独り好き”な私は・・・何でしょう? そんな動物さんがいたらご一報ください(笑)。

小 野 木 遼

Ryou Onoki(Cello)

次々に台風が発生し、日に日に秋の気配が深まってきますね。コラムも4周目になりましたが、文章を書くことの難しさを痛感し、自分の文才のなさに頭を抱えております。

 

今回は趣味のことでも書こうか、と思ったのですが、今シーズンは帰省出来ずに、生まれて初めての釣り竿を持たない年となりました(冬のワカサギは除く)。

 

他にほとんど趣味を持たない僕にとっては正に異常事態で、夢にまで出てきました。

渓流で躍動するヤマメ、ニジマス、オショロコマ…….

 

オホーツク海でのクロガシラ、マガレイ、ソイ(シーズンめちゃくちゃ)…….。


悪夢です。だれかアタシを北海道に連れてって。

 

とまあ、現実逃避はこの辺にして。

 

11/7〜11/14まで「とやま室内楽フェスティバル」にサントリーホール室内楽アカデミー生として参加させていただきました!

 

この音楽祭には去年に引き続き参加させていただいたのですが、フェローは日に何コマもレッスンを受けつつ、アウトリーチやコンサートもこなさなければならないという、なかなかのハードスケジュールで、覚悟して臨みました。しかし、僕のトリオのメンバーの到着が遅れ、しばらくは1人で自分と向き合い個人練習。

 

自由時間もたっぷりあり、近くには川、日本海にも面していたので「竿を持ってくれば……!」とハッとしましたが、今思えば皆がレッスンを受けている時に1人それをやっていたら、ただでは済まなかったと思います(笑)。

 

こう書くと、僕はまるで遊んでばかりだったように見えますが、きちんと本番もありました。

 

室内楽アカデミーのコーチング・ファカルティであるピアニストの若林顕先生と、僕のトリオのvn.依田真宣さん、フェローの福井萌さんとブラームスのピアノ・クァルテットを共演させていただきました。(写真参照)

 

先生は本番のテンションで暴走気味になる僕らを完璧にリードしてくださり、本当に貴重な経験で、とても勉強になりました。
ありがとうございました。

 

今回も、取り留めのない内容になってしまいました。
次回までに、釣りに行きたいなあ。

 

 

 

 

Q:自分を動物に例えると?
        
A:鮭ですかね。逆境に立ち向かっていくという……(笑)。

石 塚 彩 子

Ayako Ishizuka(Piano)

皆さま、こんにちは!

「光陰矢の如し」と言いますが、このコラムもあっという間に4周目がやってきました。

 

前回も少しご紹介させていただきましたが、今月の半ばに10日間ほど、『とやま室内楽フェスティバル』に参加してきました。すぐに一言で表わすのが難しいほど、とても密度が濃くて充実した日々を過ごすことができました。これも、音楽への愛に満ち溢れた富山の方々や各関係者のお陰です。心より感謝申し上げます。

今回の滞在で経験したことが、今後も音楽を続けていく上で血となり肉となるよう、今まで以上に自分自身とも広く深く向き合っていきたいなと思いました。

 

人と音楽、そして豊かな自然。これらが有機的につながったとき、本当に温かく幸せな気持ちになります。例えば、おいしい空気や水に接すると、自分の呼吸が無意識のうちに少しずつ長く、深くなっていくのを感じます。そして呼吸は、音楽において、演奏するという行為においても、最も大切なことだと言い切ってもいいと私は思います(写真参照)。

 

普段、コンクリートに覆い被さった大都会で暮らしていると、どうしても自分の息も浅くなってしまいがちです。よほど意識しないと、深呼吸もあまりしません。ですが、呼吸が浅く身体が上ずった状態では、演奏するときに良い音は出せません。

 

その一方で、首都圏で生活しているからこそ得られるメリットももちろん、たくさんあります。星の数ほど演奏会や音楽教室があり、海外から来日する音楽家のコンサートや公開セミナー&レッスンなどにも手軽に足を運ぶことができます。

それらは素晴らしいことですし、私自身も間違いなくその恩恵を受けてきた一人です。と同時に、これから長い年月をかけて人生を歩んでいくときに、何かこう「じっくりと味わう」「耳を澄ます」「有り難さを噛みしめながら頂く」といったような感覚を失いたくないな、と強く思います。

 

どのように音楽と関わっていくのが理想の形なのか、正直まだ大きな絵は描けていませんが、私なりにずっと探し続けながら一歩ずつ前に進んでいきたいです。

 

 

 

 

Q:自分を動物に例えると?

 

A:自分を動物に例えると?中学生の頃のあだ名は「スヌーピー」。そして最近では、ある方から、周りが見えなくなって突進する姿が「イノシシみたいだ」と言われました(汗)。

自分の姿は、鏡を通してしか見ることができないのが残念です(笑)。

とやま室内楽フェスティバル期間中、宿泊所の窓から広がる景色。奥に見えるのが富山湾。

© 2014 by アッコルド出版

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